新しいカテゴリーを考えました。
《懐かシリーズ》と題して、過去にやったこと、経験、体験、
好きだったもの、ハマってたことなんかを
回想しながら振り返ってみたいと思います。
で、一発目は、大学1年のときにやったアルバイトの話を。
*
大学1年の夏休み、1ヶ月と10日ほど、
富士山の八合目の山小屋で住み込みのバイトをしたときの話です。
<この経験でまなんだこと>
❶ひとがやらないことをやることに価値がある
❷そのときしか出来ないことがある
❸制限(制約)があるほど面白い
きっかけは姉貴が短大のときに夏休みにいったことがあり
すごい楽しかった話を聞かされていて、大学になったら
「崇も絶対いったほうがいい」と激烈にすすめられていた。
それで、大学にもなったし行ってみるかとなったわけである。
1年の夏休み、入学してすぐに仲良くなった同じ学部の友人を誘う。
彼もなんかおもろそーだなと二つ返事で快諾。7月に入り、夏休みに
なってすぐに準備し新幹線で富士山へと向かった。
1年の夏休みのバイトだから、
ほぼ人生最初のバイトに近い。さらに
富士山には登ったことも当然ふたりともない。不安だらけのはず
だが、なぜか十代特有の勢いなのか世間知らずのクソガキだからか
わけもわからずワクワクのほうが数倍大きかったのを覚えている。
新幹線で三島駅におり、そこから富士登山バスで五合目までいく。
そして五合目でバス降りて、やっとそこから登山がはじまる。
僕らが向かうバイト先の山小屋は、八合目標高3250mの
“元祖室”(がんそむろ)という名前の山小屋だった。
数時間の登山ののち、どうにかその元祖室にたどりつく。
どちらも高校の部活とか運動はしていたが高所登山の経験はなく、
いきなり3000mの高度アップに体が拒絶、高山病に襲われる。
薄い酸素濃度に体が慣れず、とにかく頭がいたい。
しばらく寝てれば慣れると言われ、そのまま山小屋の寝所で
「あたまいでえ、、、、」とうめきながら半べそ状態で眠りにつく。
いきなり日本最高峰の手厚い洗礼を受けた1日目だった。
しばらく寝てると確かに頭痛もいえ、しだいに復調する。
2日目以降は、山小屋ホスト家族のいわれるままに
布団を屋根の上に干したり、寝所を掃除したり、来る登山シーズンに
むけて一斉に準備の日々。
僕らがあがった7月中旬には同じバイトの学生は3、4人だったが
しだいにシーズンに入るとバイトも増え、お盆期間前後のピーク時には
10人以上にまで増えていた。
バイトに来ていたのは日本各地いろんなとこの大学生、
僕と一緒にいった徳馬のように初めてのメンバーもいれば、
毎年きているベテラン(大学卒業した社会人もいた)もいて、
毎日毎日一緒に過ごして雑魚寝してると自ずと仲良くなっていった。
僕ら男子のメインの仕事は、山小屋の寝所の管理から登山道のゴミ拾い、
ブルドーザーで荷あげされる物資をとりにいって山小屋まで運ぶ仕事、
その日に自分の山小屋に宿泊するお客さんを五合目まで迎えに行き、
山小屋まで同行してあがること。場合によっては、しんどくなった
お客さんの荷物を背負子(しょいこ)でかついで登る。
だいたい2日に一回くらい、その迎えに行く順番がまわってくるので
バイト期間中40日間のうち、約20回くらいは五合目におりて
3250mまで荷物をもってあがる仕事をしていたことになる。
若さと慣れというのはたいしたもんで、
1週間もすればその生活にも順応し、しんどくも感じなくなっていた。
40日間をやりきった最終段階では、心肺的にもかなり強化され
山小屋の3250mから五合目約2300mまでずっと走りながら
駆け下りたり出来るようにもなっていた。
40日間の天上界での修行のようなバイト生活を終え、
下界におりて岡山に戻った僕らは戻ってからも
あまりに強烈な経験を反芻しながら、もとのゆるい学生生活に戻った。
その40日あまりの体験で学んだことは
いまでも自分の血肉になっていると思う。(後編に続く)
コメント
面白いバイトしてる〜
大人になってからそんなバイトしてみたかったって思いますね
忘れられないエピソードとか物とか教えて欲しいです。是非!
コメントあざす!いま思うとかなりレアな経験だったと思います。学生時代ならではだったなーと。登山の知識も経験ももちろんないので古着のチノパンとネルシャツとウインドブレーカーとGジャン着てあがりました。もちろんスニーカーで。Tシャツも持って行ったの全部古着の綿100ですし(笑)。そこでちゃんとした機能性の山用シェルや登山靴に出会い、衝撃を受けることになります。