40日間の富士山の山小屋でのバイトは
正直、きつかった、と思う。
実際に僕らと同じ山小屋にきていたバイト仲間で
当初の予定よりもずいぶん早く切り上げて
下山していった者もいた。体調こわしてそのまま
しんどくなって下山した者もいるし、
山小屋ホスト家族の大将に、つかえねーから荷物まとめて
降りろ。と言われた者も過去にいたらしい。
山小屋はどこも家族でやってるのでルールはその家族のルール。
大将が一番、奥さんが二番、みたいな力関係もわかってくる。
理不尽な叱りを受けても、いやなら帰れ、で反論は許されない。
最初の1週間くらいは体のしんどさとこの精神的なしんどさ
のダブルに耐えないといけない。でもやっぱり仲間がいるから
一緒に愚痴りながらタバコ吸ったりしてどうにか越えると
気づいたら仕事にも慣れて楽しくなってくる。
迎えにいって一緒にお客さんと山小屋まであがると、本気で感謝
されたりする。夜に囲炉裏の当番しながらしょーもない話で笑いあう。
たまにテレビの番組のロケがあったり、外国人との触れ合いが
あったり、はかない恋の思い出、、、はない。
振り返ってみるとこんなことを学べたように思う。
❶ひとがやらないことをやることに価値がある
〜学生時分のバイトと言っても数え切れないほどあるだうが
同じこのバイトをしたことがあるって人は今まであんまり
あったことがない。かなりレアな部類に入ると思う。
そのユニークな経験があるだけで、ネタになる。
❷そのときしか出来ないことがある
〜社会人になったらまずこんなバイトは出来ないと思う。
ま、そもそも出来ないから大学の夏休み用として募集
されてるんだろうけど。
結局、その大学1年の夏しかそのバイトはしなかった。
2年以降やってもよかったが、他のバイトをしてたり、
女の子と遊ぶことのほうにうつつをぬかしたかったりして
やらなかった。
わけわからず、とりあえずやってみる、という奔放さが
貴重な宝物のような経験になることがあるんだと思う。
❸制限(制約)があるほど面白い
〜富士山の八合目3250mという非日常の世界にいることが
なにをするにも非日常となる。風呂は10日に1回程度、
夜には真夏でもマイナスまで低温になり、日中は乾燥し
めちゃめちゃ日焼けする。テレビなどあるはずもなく、
いまのようにスマホもないし、そもそも電波が届かないから
下界から完全に情報が断たれる。
仲間と仕事をし、だべって、飯食って寝る、起きて、仕事の繰り返し。
なのに、なにをするにもなんか楽しい。いや楽しもうとする
気がはたらくのか。。こんなになにも出来ない、文明のないところで
シンプルな仕事をしているのに、楽しくて充実している。
と行った感じ、自然のなかでシンプルに生きること、をすこし
かじれた経験だったのかもしれないと今思う。
20年以上たったいまでも、あのときのバイトのことを断片的に
でも鮮明に覚えている。40日たった、最後のバイトの日に、
はじめて頂上に登った、そこで見た御来光の美しさ。
下界におりれるのが待ち遠しすぎて、通常の登山道ではない
ブルドーザーの道(ブル道)を駆け下りてあっという間に
五合目までついた。
また山が好きになって登りだしたのはつい10年くらい前になるが
自分のなかにあの富士山の山小屋のバイトでの楽しかった日々が
いつもあったんだと思う。人生のなかでの最高の
経験のひとつだったんだなあと、あの日々のことを思い出す。
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