◼︎KSG100
2021年4月23〜25日の3日間をかけ、
総走行距離162km、
走行時間合計43時間20分。
なんとか無事完走できた
《 KSG100(ケシゴ100)》
ほんとにやれたのか、、、我が事ながらまだ
ちょっとふわふわした感覚が続いている。続いてるというかあれから
なにかが自分のなかで変わったのかもしれない。
あれから約3週間がたったいま、あらためて
この挑戦は自分にとってどんなものだったのか?
なにを思って、なにを感じて、
なにを知ることができたのか?
自分なりに準備段階から振り返ってみようと思う。
◼︎100mileやることを決めた理由
そもそもなぜ急に100mile走ってみようと思ったか、
その理由は以前のブログでも少し触れた。
今回もっと掘り下げてみる。
2021年が明けた1月27日、インスタで突然
「100mileを走る!」と口走ってしまった。
知り合いのランナー達が4月に開催のUTMFへの
トレーニングを本格的に開始して徐々に
SNS上でそんな投稿が増えてきた時期だった。
今年もこの時期がきたなーなどと思いつつ、みなの
快走を応援したいという気持ちと、なぜか自分も
走ったらどうなるんだろ、、という変な対抗心
みたいな気持ちがでてきていた。
これまでならただ友人たちの挑戦を応援しよう
ということで100mileへの遠い憧れと
やり過ごしていたのに、なぜか
「自分もやってみたい」という感情の芽生え。
「自分もいまなら走れるかも…」
っていう漠然とした期待感。
そんな期待を抱かせたのは
おそらくそこまで400日間以上”毎日”走り
続けたことで走力以上に
メンタル的なレベルアップが出来てるんじゃ
ないかという自信と、その走り続けた成果を
どこかで証明したい、という想いが
強くなっていたからだと思う。
◼︎走ることが普通の状態になる
400日間連続、正確には420日間毎日走った。
2019年の大晦日からスタートし、
2020年の大晦日をこえ、気づけば2月28日になっていた。
走って直後にTwitterで記録投稿する毎日、
最初はとにかく一年間毎日続けてみようとだけ決めて
スタートした“毎日走る”こと。
ふと思いつきではじめてはみたが、やり続けると
100日くらいから止めるのがもったいなくなる。半年をすぎると
ほぼなにも考えずにやれるレベル=日課になる。
そして200日たち、300日たち、
目標の1年をこえた。
このままずっと続けようと思えば続けられていたと思う。
でもその先の目標は2年なのか、1000日なのか、
果たして10年なのか、、、
いつまで続けるのだろう?と。
走る前は”継続できる自分になる”と思い浮かべていた
気がする。そして継続できる自分にはなった。
じゃ、この先はどうなりたかった??
“期限”を目標にしても最終的に“◯◯日連続で走れた”
という成果にしかならないのではないかと思った。
◯日◯年続けたところでその先に
「自分はどうなりたいのか?」
「どんな状態になっていたいのか?」
がなければ、継続はただの作業と化し、
継続すること自体が目標で終わってしまうと気付いた。
420日間走ってやっと。気づくの遅すぎだけど笑。
だから、
その継続の目標の先に
「100mileへの挑戦」を掲げ、
毎日走り続けた成果に(強引に)したいと思ったのかもしれない。
“100mileを完走し、100milerになる”
そう決めて以降、毎日走り続ける習慣が
100mileになるためのトレーニングにはっきりと変わった。
◼︎Be a 100miler.
100mile走るとインスタで宣言したのが1月27日。
投稿をみた友人、知り合いたちがにわかにリアクションしてくれた。
ただの「イイね」の反応から「まじで??」の半信半疑、
「応援するよ〜」の激励まで。
でも投稿みた半分以上は冗談と思われたと思う。
しごく当然。これまで毎日走ってきた日々も、
ここまでの思いの移り変わりもみんな知らないわけだから
“無理でしょ”と思われて当たり前。正直自分でも嘘ではないが
なんとなくいける感はあるとはいえ、未知の距離、未知のレベル、
いまの状態なら無理だろなあと思ってた。
すぐにインスタに反応してくれた内川さんに半ば衝動的に
「ペーサーしてください♪」と依頼する。なぜか走ると決めて
宣言したと同時くらいに内川さんに相談しようという気持ちが
でていた、なぜか。。そして案の定、内川さんは二つ返事でOK。
それもなぜかわからないけど快諾してくれる感覚があった。
どんなときでも味方でいてくれるに違いない絶対的信頼っていうのか、
困った時、なにかやる時に思い浮かぶのが
自分にとって内川さんだから。
そしてもうひとり、エイドサポートしてもらおうと決めてたナミさんにも
お願いをする。もちろんナミさんもありがたく快諾。はれてこの
3人のチームで未知の挑戦に立ち向かうことになる。
立ち向かう、といっても基本は自分の走力をあげる=脚をつくること
日々の計画的なトレーニングを積み上げることしかない。
インスタ上で『ケシゴ100まであと◯日..』とつけて
カウントダウンはじめてみた。毎日ではないが。。
宣言した以上、だれかはみてるし、応援してくれる人もいるし、
気にしてみてくれるし、他でもない
内川さんやナミさん協力してくれる仲間の手前、これまでの
自分と同じ感じで” 言わずにやる “スタイルではいけないと思った。
3月がすぎ、4月になり仕事的にも大きな変化を迎えることになった。
勤務する店舗が変わる。同じ津山だが異動が決まった。
新たに働く店は、以前につとめていたこともあり、同僚もスタッフも多く
知っているので比較的すんなり馴染めはした。
自分が務める店の勤務シフトは、早番と遅番の2交代制で、
早番は夕方5時に終業したあと、閉店の23時前にふたたび出勤して
しめ業務と翌日の調整業務をしなければならない。早遅のシフトも
1日か2日ずつ入れ替わるため、朝走る日と、夕方走る日と、
どちらも無理で深夜に走る日、をその日のシフトに合わせて練習予定を
入れないといけない。また月に7日ある公休日は、半分くらい
土曜にしていて南珠と1日一緒にすごす日にしている。
そんな時間と休みの制約は当然わかったうえでの挑戦、
100mileを走りきる脚力、体力をつけるために重要なのは、
” 長く動き続ける、走り続ける”練習とわかっていたからそれを
どのタイミングで本番まで何回できるかを、勤務シフトと
何度もにらめっこして考えぬいた。
そしてスケジュール決めたらば
あとは淡々と決めたことを愚直にやっていくだけ。『あと◯日…』
のSNS投稿も最初は自分でプレッシャーを与えて追い込めればなどと
思っていたが次第にプレッシャーもなにも感じなくなってきた。
むしろ見ている友人たちのほうが
「準備どう??大丈夫??」みたいに心配してくれて
コメントをくれる。正直こんな挑戦も挑戦への準備自体もはじめてな
わけだから大丈夫かどうなのかもよくわからない(笑)。
本来ならトレーニングのはじめの段階から、100mile経験の
あるランナーに聞いたり教えてもらったりすべきなんだと思うが
自分はそのわからなさも含めて、まずは自分で考えうる限りの
計画をし、やれる限りの準備を100%実行することを自分に課して
みたかった。だからほとんどだれにもトレーニングの相談は
しなかった。
ケシゴ100から遡って45日前から、excelでつくった当日までの
トレーニング予定表をGドライブで保存し、
決めた練習をしたらiPhoneで即完了のチェックをする、
毎日その後のトレーニング予定を追加修正する、
予定にいれた”長く動く練習”のあとは必ず振り返りをして
気づいたことや教訓を残しておく、そんな毎日を繰り返して
気づけば直前になっていた。
◼︎4月23日
そもそもすべてが初挑戦のこと、そこに向かう
準備の日々も初めて、不安な要素をあげればきりなく
際限なくでてくる。そこに気をもむヒマがあったら、
自分でわからないなりにも知識や経験を総動員させて
計画をたててそれを愚直に実行しようと最初に決めた。
それができさえすれば、おそらくすっきりした気持ちで
スタート地点にたてるんじゃないかと思ったから。
そして、その日がくる。
いや、じつは直前の確か2日前に内川さんと当日のことを
連絡とりあってるときに「こんなタイムスケジュールでいこうと
思います」ってことで事前に考えていたスタートからゴール
までの3パターンのシミュレーションを見てもらった。
その自分がつくったシミュレーションに内川さんが足りない部分や
考えられる要素を追加修正してくれて、よりリアルなシミュレーション
ができた。もちろんもっと早くペーサーである内川さんには
見てもらえばよかったが、そこの気もまわってなかった。
直前の直前に甘いシミュレーションを見せられてさぞ内川さんも
心配したことと思う。速攻で手直ししたシミュレーションが
返ってきた。睡眠時間を必ず予定に入れておくべき、それと
悪い状態のときのタイムスケジュールをきちんと作っておいて
つねにそこを意識してゴールが見えなくならないように
モチベーションを保っていこう、目から鱗のアドバイスだった。
もうひとつ、スタート地点に心置きなく立つために
しなければいけないと思っていたことがあった。
いやむしろ一番重要だったこと、
“家族に応援してもらう”ことだった。
これまでは勝手にレースを決めて
勝手に予定を組んで勝手にいって帰ってくる、そんなやり方だったが
今回ははっきり言って無事にすむかどうかもわからない未知の
挑戦と、まるまる3日間も家を離れる(すぐ近所だけど)ということ、
家族の理解と応援がなければまず無理だろうとわかっていた。
物理的な部分と精神的な部分、そのどちらも最後の最後で
自分ががんばれる、踏みとどまれる、あきらめずに続けるための
力になると、いや力を借りないと無理だと思ったってほうが正しい。
挑戦を決めたあと、ある晩に
4月後半に芥子山で100mile走る挑戦をしたいから協力してほしい。
応援してほしい。
と妻に話し、協力を頼んだ。ただでさえ意味のわかりかねる行動、
レースでもなんでもないものになぜそこまでするのか?
理解に苦しんだんじゃないかと思う。
両手をあげて全力応援とまでは
いかなかったかもしれないが、土曜に南珠を実家にあずける話や
補給食の準備や、当日の夜に山頂まで南珠と応援にきてくれた。
家族が応援してくれることは、なによりも力になる。
当たり前のことかもしれないが、心の底から感じていた。
そして、
その時がきた。
23日当日は早番で6時まで津山で仕事をし、そこから岡山に戻り、
自宅で速攻で着替え、準備してくれた補給の水分、食料をトランクに
のせてセブンへ直行。
スタート時刻の20時の15分前、
すべての準備を終え、あとはスタートするだけの状態で
セブンの駐車場に降りた。
、、、間に合った。
直前の直前までぎりぎりな感はあったものの、
不思議と頭も心もなんかおかしいくらい清々しくすっきりしていた
のをいまでも思い出す。
そしてセブンには内川さんにナミさん、ヨーヘイくんにやまもっさん、
羅針盤のシゲオさんにアコさんがスタートの応援にきてくれていた。
いよいよだね!というまわりの緊張感をよそに自分は
やっとここまできた、ここまでこれたんだ…
という達成感にも似た感覚(走る前なのに)に包まれていた。
いままでのどんなレースでも感じたことのない不思議な感覚。
ま、それも当然か、どんなレースよりも長く険しい挑戦だし、
そしてどんなレースよりも考えて積み上げて本気で準備してきて
ここに立ってるんだから。
時は来た。
あとはただスタートするだけ。
全力で楽しもうと心に決めて走り始めた。
〜つづく
コメント
一日一日を仕事とトレーニングと過ごしていた気持ちが伝わってくる文章に
感動してます。
を実行しているのを知ったのは、2020年の秋でした。
ログを見てビックリしましたよ~
この人、マジで毎日走ってる!!
フォロワーもいないアカウントで誰にも知られず毎日のログだけ残して走る
ホントに自分に強い人だなーって尊敬です。
ホントに好きなんですね!
そこから、仕事や協会の事、家族の事や色んな事と同時進行で準備してきたのを
考えるとホントに休む暇なし!
いつもログを見ていたのでスタートに立った青ちゃんの姿を見てここまで良く続けて来たね
ともう感動して泣きそうでした。(前日から明日で終わるーと思うと泣いてましたが)
チャレンジと聞いてもちろん応援するって気持ちは湧いてきて、やっと今までのお返しが出来ると思いました。
たくさんの事を、いつもオモシロおかしく教えてくれた事、ホントに感謝しています。
これは青ちゃんにとってきっと終わりではなく、スタートするんだろうなーって今感じています。
これからの青ちゃんもずっと応援してますよ。
ブログのつづきも楽しみにしてます!
ありがとうございますナミさん!
ふりかえってみると毎日走ってたこともさかのぼって
トレランに出会ったことも協会でたくさんの友人に
出会えたこともぜんぶここにつながってたんだと思えてきます
、、ってかどんな経験もどんな思いもつながるんだなと。
つぎの挑戦も楽しんで、勝手にまた発信して、助けてもらって
失敗しながらやっていきたいと思ってます。また力を貸してください。
いつもありがとうございます。