2020.12.12 続けるということ。

いま持ってないものを手に入れようとするなら「継続」することでそれがいつしか「習慣」となり、「それが普通の状態」=結果手に入れたといえるのだと思う。

つまり「継続」できることが自分をさらによくしていくための、さらに上の自分になるための最も大事な能力であるように思っている。そしてこの能力はもともと持っていたりする類いのものではなく、後天的にまさに「継続」していくことでのみ身についていくもののはず。

いくつかの本を読んでこの「継続」とか「習慣」というものについて自分でやってみて知りたい、継続する能力を得たいと思った。それが去年の大晦日、2019年12月31日のこと。“毎日走る”ことをとにかく「継続」してみようと思い立ったのだった。

今日、2020年12月12日、その去年の大晦日からカウントすること345日目。“毎日走る”は続けられている。もうすぐ、あと20日ほどで一年の節目がくるが、自分が手に入れたいと思った「継続できる能力」は手に入ったのか?自分で思うならそれは“よくわからない”。そもそも「継続」できているとはどのくらい続けられたらそう言えるのか、に答えがないからだ。一年365日続けたら「継続」できたというかそれはただ一年連続してやっただけ、そして自分が考えていたその「能力」や「スキル」というのは、それをまず心の底から欲しがること、そこからはじまり、どうすれば手に入るのかを考え続けて試行錯誤し、いまやらないといけないことは何かを決めて実行する「仕組み」のことなんだといまは思う。

なりたい状態、得たい結果をまずはとにかく思い描く。それが自分にとっての本当に望むものなら人はそれを得ようとして勝手に(無意識に、という意味ではなく自発的に、)動く。そしてそうなれるまで動き続ける。いつまで自分はこの“毎日走る”を続けるのか、もはや「継続」する能力を手に入れるため、という目的はもうない。自分がなりたい状態、ありたい自分でいるために“毎日走る”ことが自分の場合、その基本になっている、といった感覚。

でもあらためてその一番根源の「自分はこれからどうしたいのか?なりたい状態は?」という問いにしっかり向き合う必要があると思う。具体的にもっともっと掘り下げて、、、そうすれば具体的に動いていくはず。でも、なんだかんだでここまで344日間、続けてこれたことにはちょっとだけ満足している。自信というのかわからないが、一年前よりは確実に344日間毎日走った自分がいるから。生物として明らかにその経験を身に宿した自分になっているはず。

そして、まだまだ描く自分ははっきりしてないし程遠い。苦にならなくなったというより、走るか走らないかという悩みがなくなった(だって走る選択肢しかないから!)分だけ、頭がシンプルになった気がする。そんな自分が感じた、わかった(つもりになっている)ことをまた次に書き留めてみたいと思う。

雲ひとつない冬の空と芥子山

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